◆プロフィール

かんのゆうこアートセラピスト)

かんのゆうこ写真

「らく描き」で心の安全基地作り&具体的な一歩のサポーター。

アートを使ったワークと質問で、あなたが”普段の意識よりも深いところにある望み”を一緒に見つめ、そこからどうしたいか、具体的な行動をするための、お手伝いをします。

◆札幌アートセラピースクールpremprem認定アートセラピスト◆ART WORK JAPAN 主催 アートワークエデュケーター養成講座 卒◆中学校・高等学校教諭免許状(美術・工芸)、特別支援学校教諭免許状◆大学で美術・美術教育を学び、中学校美術教諭として8年間勤務。その中で、ジャッジのないアートに人の内面が強く反映されることに魅力を感じ、アートセラピー(芸術療法)を学び始める。

以下は、私がどのようににアートセラピーに救われたのか、についてです。

自分を生かす生き方を「自分自身が見つける」のがアートセラピーの魅力

◆「どうして私はこんなことで悩んでしまうのだろう?」

10代の頃から、悩みがち・引きずりがちな自分の性質に面倒臭さを感じ、解決方法が分からずにいました。美術に打ち込める大学に入学したことで、内面を表現できる環境になり、その悩みは少し和らいだものの…。その後、社会人になり、土地も仕事も初めてだらけ。苦手分野と真正面から向き合う毎日。そんな中で、私の「悩みがち・引きずりがち・それらが積もりがち」という傾向は再度露呈しました。

周りの同僚がとにかく素晴らしく見えて、周りと自分を常に比較し、「私はあの人に比べて、こんなことも出来ない…」と足りない自分を責めながら、なんとかして”出来る自分”になりたい一心でした。でも一方で、実際に”出来ない自分”であることを認めたくなくて、こんなはずはないと、おごってしまったりもしました。

◆アートセラピーに救いを求めたきっかけ

足りない自分を責めることに大量のエネルギーを割く生き方は、とにかく消耗するものです。やりたい事に対して腰は重いし、取り掛かり始めても悩みすぎて時間がかかる。

人間関係においても、当時は「本当の自分を出すと嫌われる」という思い込みが強く、他人からどう見られるかを軸に言動を選ぶ。すると、要らない部分にエネルギーを割いているから、やるべきことの進みが遅く、人一倍時間がかかる。いつまでも残業する私は、先輩から「職員室の主」と呼ばれていました(笑)。

そんなだから、仕事を終えて夜遅く帰宅したら、エネルギーはとっくに底をついている。もう何もしたくない。コンビニで買ったカロリー高すぎるものを適当に食べて、お皿を洗う気力も湧かない。部屋が荒れていてもどうでもいい。という日々が多くありました。(はー、恥ずかしい。)

 

もちろん嬉しくて幸せな事が沢山ありました!周りの人達も温かく、恵まれた環境にいました。それなのに、つい”不足”に焦点を当ててしまい、悩み続けることで本質から目を背け、消耗していくというこの連鎖から自力では抜け出せない状況が辛くなり、仕事の傍ら、学生時代から関心があったアートセラピーを、本格的に学び始めました。

◆子ども達から教わった”ジャッジがないという安心”の力

中学校美術教員として働いた8年間で出会った子ども達は、凄い人たちでした。1人1人の存在感が凄い。私には無い感覚を持っている人、私には選べない行動を選択できる人、年齢は大きく違うけれど憧れることが多々ありました。

中学生を見ていると、笑ったり悔しがったり燻ったり成長したり、その全ての過程を通して「生きているだけで人って本当に魅力的なんだな」と知らされました。これは、当時自分に自信がなかった私が、生徒たちから貰った、とても大事な気づきです。

(自分が出産をしてから、この想いはますます大きくなりました。)

私の悩みの1つに、”学期ごとに評価をつける”仕事がありました。子ども1人1人に対して「ABC」や「54321」を明記します。教員なのだから当たり前。なのに、これが、物凄く悩む辛い仕事でした。

当時、私は近隣の3校の授業を担当しており、おおよそ280人の評価をつけていました。

当たり前の仕事を辛いと感じる自分が、甘えているようで嫌で、恥ずかしく思っていました。

 

もちろん、授業のねらいと評価基準に基づき信念を持って評価・成績を付けてきました。でも、私の中に「ABCをつける前提でアートをすること」への複雑な気持ちが、根底にあったのだと思います。

その『本音』と、『仕事だからと割り切る姿勢』との、バランスを調整することに苦戦しました。(きっと、当時の私は、自分自身にジャッジをし過ぎていて、人からジャッジされることが怖過ぎたから、相手に評価をつけることも怖かったのだと、今なら思います。)

どの生徒のアートも、その人間の中から生まれたものです。特に美術科の場合、本人にも言語化が難しいような部分をアートにのせている場合があります。そこへ、第三者の私が「ABC」を明記することが、(ABCは人や作品の良し悪しではなく、授業のねらい・評価基準に対しての評価だと、説明はするけれど…それでも…)物凄く重責を感じていたからです。

「評価」の存在が悪いわけではありません。「ABC」は「作品や人の良し悪し」の意味ではありません。一人一人のよさを伝える観点で評価をしている素敵な先生方が沢山いらっしゃいます!この悩みは、当時の私が『評価』というものの捉え方がとても狭かったからだ、と今感じています。)

 

私は、本人が気づいていない魅力を、第三者として気づいて、本人に伝えたいから、教員になったのでした。内面が自然と反映される美術科なら、それがしやすくて嬉しいから、なのでした。

そんな時、授業の一部に、「この活動には敢えて評価をつけない!」と決めて行う時間をつくってみました。すると、子ども達がのびのびと『自分のやりたいこと』試している姿を見たのです。

”ジャッジされないという安心感”は、子ども達にとって、

▶︎「やってみたい!」自分の気持ちにOKを出せる

▶︎自分の発想をすぐに行動に移せる

▶︎周りの人と違うことを恐れず自分らしくいられる

ということに直結しているのだと知りました。

だから、アートは ”いまここ”を味わえるのだと思います。

ジャッジされる前提があると、やりたいことがあっても「これはダメかな…?」という思考のフィルターがかかり、自ら行動に制限をかける場合がありますよね。

ジャッジのないアートにこそ人間が表れる、と感じた大きな体験でした。

評価されないから「自分を出せる」アート体験が気づかせてくれたこと

私も、初めてアートセラピーを体験した時、誰にもジャッジされないことで、”ここでは自分を出しても良い”と感じることができ、自分が解放される安堵感を味わいました。

ジャッジされないからこそ、「直感的に」表現することができる。そのアートを通して自分と対話することで、これまでの自分の思考の癖から一旦離れ、経験したことのない角度から自己の内面に切り込むことができたのです。これまでの悩みが、自分の考え方の「癖」や「思い込み」から生じたものであり、自ら悩みをつくってきたのだと気づき、衝撃を受けたのでした。

また、徐々にではありますが、”出来ない自分”を認めはじめた自分を感じます。「認めること」と、「出来ないことを悪として責めること」とは異なると知りました。

コラージュ・パステル

◆「自分で見つけた気づき」こそ、自分を救う

私にとって、なによりも大きな価値を持ったのは、この気づきが、誰かから決め付けられた訳でなく、自分が生んだ直感的なアートと言葉から「自分自身が見つけたもの」であったこと。

「気づくこと」で自己がケアされるにつれて、これまで悩みに費やしてきた膨大なエネルギーと時間を、「自分が本当に大事にしたいこと」に注げるようになりました。

だから私はアートセラピーをご提供します

私自身がアートセラピーに救われ、生きやすくなった経験から、アートセラピーの店「私の机」を開業。お客様が、よりご自身らしく「生き生き」生きるためアートセラピーの要素を取り入れたワークやセッションを提供しています。お客様の一助になれることを心より願っております。

※「私の机」がご提供するものは医療行為ではございません。ご予約の際、心療内科等に通院中の方は、事前に主治医とご相談くださいますようお願いいたします。

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